エンペラー・マクシミリアン
                                        ダイヤモンド

もう一つのマクシミリアン

The EMPEROR MAXIMILIAN

マクシミリアン皇子が1860年にブラジルの密林での植物調査で見つけた2つの大きなダイヤモンド。ひとつは、後にマクシミリアン(The MAXIMILIAN)と呼ばれる緑を帯びた黄色の石で、今ひとつは、青く蛍光性を帯びた後にエンペラー・マクシミリアン(The EMPEROR MAXIMILIAN)と呼ばれるようになった石でした。

1863年に、ナポレオン3世がメキシコを征服し、この際に、メキシコ皇帝に選ばれたマクシミリアン皇子は、妻のカルロッタと共にメキシコに向かい、1964年6月10日にメキシコ皇帝の座につきましたが、国民の殆どがこのことに反対しており、その後、メキシコ軍のゲリラ的な抵抗と疫病のために、フランス軍は壊滅状態となり、また、アメリカがナポレオンに対し撤退を要求しました。

マクシミリアンが時間稼ぎをしている間に妻のカルロッタは、ヨーロッパへ戻り、援軍を求めましたが、どこの国からも援助を取り付けることが出来ず、更には、精神病となり、死ぬまでメキシコに戻ることはありませんでした。

1867年に、フランス軍がメキシコから撤退し、マクシミリアンは捕らえられ、銃殺されます。そのとき、マクシミリアンの首にはこのエンペラーマクシミリアンダイヤモンドと呼ばれるダイヤモンドが入った袋が下げられていたといいます。

エンペラーマクシミリアンダイヤモンドは、妻のカルロッタに送られましたが、カルロッタは生活の為に売却しました。

1919年にはシカゴのフェルナンド・ボッツが入手し、1934年のシカゴ万国博覧会で展示されました。 フェルナンド・ボッツの死後、一度は無名のコレクターが購入しましたが、1982年4月にロンドンの宝石商であるローレンス・グラフが、ニューヨークの有名なオークションであるクリスティーズで落札しました。

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