マリー・アントワネットの首飾り

フランス革命の発端(?)

Affair of the Diamond necklace

世界で一番有名な詐欺事件。それは、「首飾り事件」ではないでしょうか。

1778年、ある宝石商がルイ15世より依頼を受けて、600個ものダイヤモンドを使った首飾りを製作しました。首飾りは、ルイ15世から、愛人のデュ・バリー夫人に贈られる筈のものでした。しかし、首飾りを納入する前に、ルイ15世は、急逝してしまいました。

宝石商は、大変に困りました。そして、首飾りを、マリー・アントワネットに購入してもらおうと思いました。しかし、敵対するデュ・バリー夫人への贈り物として製作されたこと。そして、160万リーブル(200億円弱とも言われる)という高額であったために、マリー・アントワネットは、首飾りを購入しませんでした。

1785年、当時パリの社交界に、マリー・アントワネットと親しいと吹聴していた自称、ラ・モット伯爵夫人がいました。宝石商は、彼女に仲介してもらって、マリー・アントワネットに首飾りを買ってもらおうと思いました。

ラ・モット伯爵夫人は、大司教に、マリー・アントワネットが首飾りを購入したいのだが、とても高額なため、すぐにはお金が準備できないが、マリー・アントワネットの代理として、あなたに首飾りを受け取ってもらいたいと伝えました。ラ・モット伯爵夫人は、娼婦をマリー・アントワネットの替え玉にして、大司教と会わせ、首飾りの購入が本当のことであると見せかけました。

大司教は、大司教らしからぬ放蕩を重ね、マリー・アントワネットからは、あまり良く思われていませんでした。しかし、大司教は、出世を望んでいたので、マリー・アントワネットに取り入りたいと思っていました。そして、このことは、正に渡りに船であると思い、首飾りの代理受け取りを承諾しました。

その後、いつまでたっても宝石商には代金が支払われないため、宝石商は、ベルサイユ宮殿に出向きました。そして、マリー・アントワネットの側近と面会したことによって、首飾り事件が発覚しました。

そもそも、ラ・モットは、伯爵夫人ではありませんでした。この事件は、壮大な詐欺事件でした。自称ラ・モット伯爵夫人は、600個のダイヤモンドをバラバラにして、売りさばいたと言われています。

フランスでは、ルイ14世の晩年の頃から、財政に陰りが見えてきていました。ルイ15世の時の戦争などにより、財政は更に圧迫を重ねました。ルイ16世は、財政を建て直そうとしますが、フランス国民は、なかなか進まない改革への苛立ちが募ってきていました。

そんな時代に起きた首飾り事件は、フランス国民の、マリー・アントワネットへの不信感を募らせる結果となってしまったのです。もちろん、首飾り事件自体は、マリー・アントワネットに非はありません。

しかし、フランス国民の思いを留めることはできません。王妃は、そんな高額のものを購入できるのかといった思い。我々には、こんなに苦労を強いているのにといった思い。

フランス国民が、そんな思いを抱えていた1789年。フランス国民は革命を起こすべく集結をします。一人の貴族は、ルイ16世に進言をしましたが、この時、ルイ16世は事の重大さに気付きませんでした。そして、革命は、進行していきます。

1791年、ルイ16世とマリー・アントワネットは、亡命を企てますが、失敗に終わります。そして、この亡命の失敗が、もともと無かった二人の人気を絶望的にまで貶めることになってしまいました。国王と王妃は、国を捨て去るつもりであったのだと。

1792年10月16日。マリー・アントワネットは断頭台の露と消えました。

マリー・アントワネットの物ではない、ダイヤモンドのネックレス。この首飾り事件がフランス革命の原因として大きく関わっているのは間違いなさそうです。

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