奴奈川姫

翡翠を司る女王

高志の国(越の国)の奴奈川姫(沼河比売とも。両方とも読み方はヌナカハヒメ。ここでは奴奈川姫とする)は、現在の新潟県西頚城郡周辺を支配していた姫で、この地方の特産品である翡翠を持って、呪術により収穫の予想や、病気の平癒を祈る巫女であり、翡翠を加工する人々の長として祭祀をも司っていたといいます。

出雲の国の大国主命(オオクニヌシノミコト)は、高志の国の翡翠と、賢く美しいと言う噂の奴奈川姫を求めて高志の国へ向かいました。

大国主命は、奴奈川姫に求婚しますが、その日奴奈川姫と結婚することは叶わず、結局翌日に結婚をしました。大国主命はしばらく高志の国で奴奈川姫と共に過ごし、二人の間には御祭神建御名方命(タケミナカタノミコト)が生まれました。

大国主命の父が亡くなったという知らせが届き、大国主命は、奴奈川姫と共に出雲の国へ帰ろうとしますが、奴奈川姫はそれを拒みます。出雲の国にいる大国主命の他の妃の嫉妬を恐れたためとも、高志の国の翡翠を守る為とも言われています。

しかし、大国主命は、奴奈川姫が寝ている間に舟に乗せ高志の国から連れ去りました。

奴奈川姫は、高志の国の人の助けを得て、舟から逃げ出しましたが、大国主命の追っ手に追われることとなります。

逃げた奴奈川姫は、現在姫が淵と呼ばれる場所で、身を投げ自殺を図ったとされています。自殺を遂げたという説と、自殺は叶わずに、高志の国の人に助けられ、池の茅の中に身を隠したともいわれています。この茅原で、大国主命の追っ手たちが奴奈川姫を探しましたが、見つけられずに、火を放つことで奴奈川姫が出てきたところを捕らえようとしますが、結局奴奈川姫は、出てこずに、死んだと言うことになりました。しかし、このとき、奴奈川姫は死んでおらずに、天寿を全うしたと言う説もあります。

現在、古墳などから出土している勾玉は、以前は現在の中国などから輸入したものであるという説だったのですが、今では日本の古墳などから出土した勾玉は糸魚川地方の翡翠を加工したものだということがわかってきています。高志の国は、この翡翠の産出と加工が行われていた為に、かなり強い国であったといわれています。

<日本神話>

inserted by FC2 system