ティムール ルビー

アジアの貢物

The TEMUR-RUBY

ティムール ルビーは、それを所有した6人の名前が刻まれており、持ち主のひとりであるティムール帝国のティムールの名を冠した宝石です。6人の名前が刻まれているとはいえ、全員の名前が判っているわけではなく、判読できるのは、「1628 58シャー・ジャハン」と「1739 ナディル・シャー」のみという事です。

さて、ティムール帝国(ティムール王朝とも)の建設者であるティムールは、モンゴル貴族の家系に生まれました。彼は、軍事の才能があり、その力により多くの国を攻撃し、勢力を伸ばしていきました。

1398年には、インドへ遠征し、デリーを占拠します。その際にティムールが手に入れた宝石がこのティムール ルビーで、353.5ctもある大きなものでした。

ティムールは、チンギス・ハンの子孫と結婚をします。「チンギス・ハンの末裔」と名乗ったとか名乗らないとかと言われているようですが、そもそもこのティムール ルビーは、チンギス・ハンの持ち物であったとかなかったとかと読んだ事があったような…(はっきりしていなくてごめんなさい。でももし、本当にチンギス・ハンの持ち物であったのならば、ティムールはその正当性をしらしめるためにこのティムール ルビーを欲したのか、それとも偶然なのか…)

しかし、ティムールが建設したティムール帝国は、ティムールの死後、分裂していきました。

ここからは、ティムール ルビーに名前を刻まれている人のお話に移りましょう。

シャー・ジャハンは、ムガール帝国の5代目皇帝です。ティムール ルビーには、シャー・ジャハンの名前の前に「1628 58」と刻まれていますが、これは、彼がムガール帝国の皇帝に即位していた時期と一致します。(ちなみに、シャー・ジャハンは、あの「タージ・マハル」を愛する奥様のために建設した張本人です。)

コ・イ・ヌールでも少し書きましたが、シャー・ジャハンは、その後の皇位継承争いにより、次の皇帝アウラングゼーブ・アラームギルにアグラ城に幽閉された後、ムガール帝国は衰退していきます。

1739年、ムガール帝国の首都デリーは、ナディル・シャー率いるアフシャール朝(現在のイラン・アフガン)に攻め込まれ、この時のムガール皇帝モハメッド・シャーは皇帝の称号を保証してもらう代わりに多くの財宝を差し出しました。この時、それらの財宝の中に、あったのがティムール ルビーというわけです。

その後、1849年にアジアとの貿易の独占権を与えられていた東インド会社により、イギリスに持ち帰り、イギリス王室に収められました。

ティムール ルビーは、シャー・ジャハン、ナディル・シャー、そしてイギリス王室へと持ち主が変わっていきますが、それはコ・イ・ヌールと同じ持ち主です。

さて、このティムール ルビーは、それまで世界最大のルビーと称されてきましたが、実は黒太子のルビーと同様にスピネルであることが判っています。

ティムール ルビー(外部サイト/英語)

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