ホープ ダイヤモンド

魔性のブルーダイヤモンド

The HOPE

このお話は、17世紀中ごろ、一説にはビルマ寺院(インドとも)から盗み出されたことから始まります。このダイヤモンドを盗み出したタベルニエは、ルイ14世にダイヤモンドを売りますが、その後、事業に失敗し、犬に食べられて死んでしまいます。

その後、ルイ14世の所蔵となったこのブルーダイヤは「フランスの青」と命名され、ブルボン王朝の宝とされます。しかし、ルイ14世は、この「フランスの青」を一度しか身につけることなく、天然痘でなくなります。

また、次の王、ルイ15世はこの石を愛人に貸しますが、この愛人は処刑されます。さらに次の王ルイ16世は、「フランスの青」を王妃マリーアントワネットに預けます。しかし、その「フランスの青」を愛でていたマリーアントワネットと、ルイ16世の不幸な死はあまりにも有名です。

1792年、「フランスの青」は盗難にあいましたが、20年後にアムステルダムで発見されます。 このとき、67カラットあったダイヤモンドは、45.5カラットに再研磨され、盗まれたものであるとは判らないようにされていました。

1830年にヘンリー・フィリップ・ホープが買い取ったことから、ホープダイヤモンド(The HOPE)という名前が定着します。しかし、ホープ自身は破産してしまいます。

ホープダイヤモンドは、その後、オスマントルコ皇帝であるハミト2世が手にし、愛人に贈りますが、この愛人は、ハミト2世に殺されてしまいます。

1909年に、ホープダイヤモンドは一旦、カルティエの手に渡り、その後すぐに、エドワード・マクリーンに売却します。次の持ち主であるアメリカのエドワード・マクリーンは、あの有名なタイタニック号と共に帰らぬ人となり、さらに、息子は車に引かれて死亡、娘は睡眠薬を飲みすぎて死亡、夫人は破産し、その後を追うように死亡します。

その後、かの有名な宝石商であるハリー・ウィンストンの手に渡り、そして現在、ホープダイヤモンドは、スミソニアン博物館に収蔵されています。

と、ここまで書いたのですが、実はこのお話はかなりの創作が入っています。最初にダイヤモンドを盗んだと言われているタベルニエは、川でこの石を拾ったとされ、犬に食べられて死んだわけでなく、亡くなったときは老齢であったということです。また、ルイ14世もかなりの老齢でした。ホープは、破産を避ける為に、ハミト2世にホープダイヤモンドを売却し、また、ハミト2世は愛人を殺してもおらず、マクリーン夫人は、亡くなるまでの長い間、ホープダイヤモンドを身につけていたと言います。

いったい、どこから呪われたダイヤモンドという虚像がつくりあげられたのでしょうか?

実は、この呪われたお話は、カルティエがマクリーンにこのダイヤを売却する時に語ったお話だったと言われています。マクリーン夫人がこのようなオカルト的なお話好きだったようで、サービスだったのかも。それとも、このダイヤモンドを売るカルティエの戦略?

ホープ(外部サイト/英語)

ホープダイヤモンドの
コンピューターを使った分析(来歴)

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