パワーストーン


まず、最初にお断りするのは、私自身、パワーストーンの意味や効果については、興味がありません。しかし、否定的かと言われると、「う〜ん」と唸るしかありません。基本的に、このページは、パワーストーンについて信じていらっしゃる方が、読んで楽しいページにはならないと思います。(ので、読まないで頂けるとありがたいなぁと。)

度々、いろんな所に書いていますが、私は、宝石(ルース・ジュエリー)が好きです。そして、このサイトを運営するようになってからは、鉱物にも目が行くようになりました。

好きだから、ルースや、鉱物を見ていると、癒され、時間が経つのを忘れてしまうときがあります。パワーストーン的に考えれば、それも、「石の力」であるのかもしれません。

「石」の歴史を考えれば、パワーストーン的考え方も理解できなくはありません。古来、ルビーは血の色をしているから、病気を治す力を持つと考えられていたり、アクアマリンは、船旅のお守りであったり。それは、「宝石」や「鉱物」としての歴史でもあり、例え、意識されていなくとも、「パワーストーン」(…というか、お守り的)としての歴史でもあると私は考えます。

ただ、それを、「人は、古来から石のパワー(波動)を感じていたのです。権力者は、稀少で、美しいだけで宝石を求めたのでは有りません。なぜなら、神殿などに奉ってある本尊(?)などは、石であることが多いです」ちょっと、うろ覚えですが、このような事が書かれていると、一変して否定的になってしまいます。それは、文化もあったろうし、そもそも、神殿に奉ろうとするものが、すぐに壊れてしまったりしてはモンダイだからではないの?なんて思ってしまうのです。

さらには、「石は、宇宙からパワーを貰っている」という表現。もし、本当に宇宙からのパワーがあるとして、そのパワーを受けるのであれば、石だけではなく、土も、水も、植物も、動物も地球上のすべてのものが、地球も含めてパワーをもらっているのことになるのではないのでしょうか。だとすると、石じゃなく、流れ行く川。大きな海。パワーストーンではない岩石にオネガイするのはいけないのでしょうか。それこそ、空気にオネガイするという手もありますし、なんなら、地球そのものに祈ったほうがいいのでは?だって、パワーストーンの生みの親(?)は地球なんだから。(なんて思ってしまうのは、私自身のワルイクセかもしれません。)

私は、○○を叶えたいから、「なんとかという石」を購入しようとしたことはありませんし、石に願いを込めたいと思ったこともありません。好きだから、見て、触れて癒される。ただ、それだけです。「恋愛運」とか「健康運」とか(よく判りませんが)様々なことを石に願うつもりもありません。

少し話しは、ずれますが、薬の世界で、「偽薬(ぎやく)」というのがあると聞いたことがあります。例えば、小麦粉か何かを、これはあなたの病気によく効く薬です。と言って服用してもらったら、服用した人たちのうちの何パーセントかの人たちの病気が良くなったというお話です。それは、数パーセントではなく、もっとびっくりするくらいの効果であったと記憶しています。いわゆる「思い込みの力」であると思います。

私は、この「思い込みの力」は、「石」にもあると思います。いえ、「石」にあるというよりも、「人」にあるのでしょう。

パワーストーンを購入するとします。自分に合った石は、アレか、コレか。自分でいろいろと調べたり、詳しい人やお店に聞いたりして選ぶと思います。私は、この時からパワーストーン的「思い込みの力」が発生するのではないかと思います。そして、次に行う浄化によって、「思い込みの力」がパワーアップするのではないかと思うのです。浄化の方法は、石によって様々であるらしいのですが、石のパワーをフルに引き出すための行為ということです。この浄化によって、自身が少し落ち着き、ゆっくりと考える時間ができるのではないかと思うのです。

そして、次は、プログラミングです。自分が叶えたい望みのイメージを石の中に送り込む作業ということです。イメージがアバウトではダメらしいです。しっかりとしたイメージが必要ということ。浄化によって、落ち着く時間を与えられ、そして、プログラミングによって、じっくりと考えさせられるわけです。

そして、机に置いたり、身に付けたりして、願いが叶うのを待ちます。私が思うのは、叶えたい望みのイメージがしっかりとしている人は、意識していようがいまいが、実はそこに辿り着く方法も知っているのではないかと思うのです。落ち着いて(浄化)して、しっかりとそこまでの道を考える(プログラミング)ことができる人だからこそ、達成できるのではないのかなぁ。と思ったりしています。

だから、本当は、パワーストーンが無くても、望みを叶えることができるのではないかと思います。ただ、パワーストーンがあるから勇気がでるとか、心の支えになって、頑張れたり、違う自分を見つけられたりするのではと思うのです。もし、パワーストーンに本当に力があるとすれば、それこそが、パワーストーンの力なのかもしれませんね。

パワーストーンの世界では、石の色が変わったり、割れたりするのは、石が持ち主の身代わりになってくれたからだということです。宝石や、鉱物の世界では、色が変わったり、割れたりするのは、保管状態が良くないか、雑に扱ったとしか考えられません。もしくは、元々割れやすい状態であったけれど、販売者や購入者が気付きにくい個所で、気付かなかったか。

パワーストーンで言うところの石の色の変化は、多色性、変色性や、蛍光性とは違うものの筈です。ということは、その石、実は染色してありません?それを、浄化と称して、日光にさらしたり、水につけたりしませんでした?と聞いてみたくなります。もしくは、紫外線などにとても弱い石だったとか。手の油程度の汚れにもビンカンに反応するような石だったとか。

割れについても、その石に適してない場所に置いたり、石に適していない方法で浄化をしてませんか?と聞いてみたくなります。もしくは、とても状態の悪い石であったりしませんでしたか?買ったときには気付かなかったけど、後で気付いたとか(これは、ありそうですよね。私も、購入後、しばらくしてから、撮影中に初めて気付いたことがあります)。

そして、もうひとつ。割れた石は、役目を終えたので、感謝して、土に戻してあげましょうというもの。本やネットによっては、海・山・川(川原)などの自然に帰してあげましょう。と書いてあるものもあります。きっと、パワーストーンなんだから、「捨てる」のは、ダメなんでしょうね。で、結果として「土に戻す」や「自然に帰す」という表現に行き着くのでしょう。

もし、パワーストーンが「土に戻る」として、さらに本気で、「自然に帰す」のならば、その石の産地へ帰してあげたいものですよね。例えば、パワーストーンをどこかに置いておくとして、その場所を決めておくこと。場所をみだりに変えないことが重要だと言っているわけです。その理由が石が落ち着くため。らしいのですが。そう考えると、「願いを叶えてね〜」と思っているときは、一ヶ所の、石が落ち着ける場所に置いておかねばならないのに、割れたりしたとたんに、「身代わりになってくれて、ありがとう」と、全く知らない場所に「かえされる」のは、不自然ではないですか?

また、そこらの川、山や海にかえすのは、鉱物学的にモンダイです。産地等のコンランの原因になります。どうしても、カエサネバならないのならば、それは、自宅の庭であるべきだと思います。

パワーストーンは、「生きている」と言うことなので、割れたり色変わりしたりしたときが「死んだ」ときだとすると、パワーストーンのお墓ってことになるのかなぁという気もしないでもないです。石が生きているとして、鉱物として、母岩から剥離されたときも、一度死んでいることになるんじゃないかなぁ。と思ったりします。

人が、石に対して、何を望もうと、何を願おうと、それは、石の預かり知らぬこと。信じるも信じないも、肯定も否定も。答えは、自分の中にだけ、あるのだと思います。

パワーストーンも、元を帰せば鉱物です。私が納得させられた言葉があります。何かの本で読んだのか、ネットで見かけたのかは忘れましたし、確かな文章も覚えていませんが。

「その鉱物に最初に出会った人(採掘業者など、実際に鉱物を掘ったりしている人たち)は、どの石が鉱物店で売られ、どの石がパワーストーン店で売られるのか気にしてなどいません。そんな事は、関係ないからです。その人たちのあずかり知らぬ流通経路のどこかで、つけられた価値(販売価値/付加価値)のひとつであるというだけです。」

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