水晶の輝き


小さな頃からキラキラとしたものが、大好きでした。きれいなものが大好きでした。

シャボン玉

雨上がりの庭

木漏れ日

夜空に浮かぶ星

お客様にしかお出ししない
カッティンググラス

いろんなものが好きでした。基本的にそれは今も変わっていません。でも、シャボン玉を作ることはしなくなったし、虹や、雨上がりの露に濡れた植物、木漏れ日や星に気を止めなくなってきたということも事実です。

まだ、小学校にも上がる前いろんな、『好き』に囲まれ、様々な『好き』をとても大切にしていた頃、私が一番好きだったのが、母の持っていたホワイトオパールの指輪でした。角度によって、青・赤・緑など、いろんな色が見え隠れする輝きに、飽きもせず、眺めては勝手に持ち出したことを母に叱られ、それでも懲りもせずにまた、持ち出し…という繰り返しでした。

ちょうど、そんな頃だったでしょうか。『ダイヤモンドの輝きでなくてもいい。水晶の輝きがあれば』というCMがありました。このCMには水晶のクラスターが使用されており、光のあたっている部分の輝きがとても印象的なものでした。なんのCMだったのかは、全く覚えておらず、上記のフレーズと水晶クラスターだけが記憶に残りました。(ただ、あまりにも、綺麗だったので、今思えば、研磨したポイントをクラスターのように並べて上部だけ撮影していたのかも…)

そして、それは、私が始めて宝石ではない、鉱物の美しさに気付いた瞬間でもあったのです。しかし、この記憶は、時間がたつにつれ薄れ、忘れられた記憶となっていきました。

あれから、何十年…。このホームページを立ち上げてから、いろんな宝石や鉱物系のサイトへお邪魔することが多くなりました。勿論、水晶クラスターをウエブ上で目にすることが増え、薄れていたこの記憶がよみがえったのです。

わたし自身、水晶はカット石よりも、クラスターやポイントのほうが美しいと感じられ、そして、そう信じています。これまでに、水晶のカット石を購入しようとしたことも、いえ、思ったことすらもありませんでした。無色の水晶は勿論のこと、アメシストやシトリンですら…なのです。

それは、妙なコダワリとして、わたしの中にあるものなのです。

そして、思い返してみれば、その妙なコダワリの原点にあるものこそが、このCMであったのかもしれません。良くも悪くも、幼かったわたしの確かな衝撃が水晶のカット石を避けさせていたのかもしれないと思い始めているのです。

後日談:このCMが好きだった私は、母と水晶の美しさを共感したいと思いました。…が、「水晶って、ダイヤモンドのニセモノでしょ」というキツーイ一言。今ならば、当時の状況を鑑み、また、母の勘違い・思い違いと笑い飛ばせますが、幼かった私は、以降、「水晶はきれい」と言ったらそれは、恥ずかしいことであると思い込み、記憶の中に、この気持ちを封印してしまったのでした。

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