わたしの罪


宝石って不思議です。カットや研磨をしなければ、輝きを得ることが出来ず、しかし、結晶単体でも充分に美しい。鉱物コレクターの方は、鉱物として、自然のままの、ありのままの姿を求めていらっしゃるのでしょう。そして、それをとても美しく感じるそうです。

私自身はというと、そういう鉱物ももちろん、きれいだとは思うのですが、なによりも、きれいだなって思わせられるのは、やっぱり、人の手がカットや研磨という形で加えられたいわゆる「宝石」のほうなのです。

それは、ジレンマを感じさせられることもあります。自然のまま、地中に眠っているだけでは鉱物はその美しさを私たちにしらしめることは出来ません。生物ではないのですから、当然鉱物には美しさを誇るということもないわけですが…。

人は、鉱山から、鉱物を掘り出し、その一部が、鉱物収集家の方に流れ、その一部が、カット・研磨され、一部はルース収集家の方へ、一部はジュエリー・アクセサリーとなり、人の手へ渡っていきます。その他にも、工業用などの様々な用途があるようですが。宝石となった過程の中で、石はエンハンスメントとされる加熱処理や、含浸処理などが施され、また、トリートメントと称され、様々な処理を経て、色をつけられたりして美しく化粧が施されていくのです。

鉱物・宝石の中には、もう、取り尽されてしまい、新たな鉱山を発見するか、今出回っているものを購入するしかないようなものもあります。でも、それでも、それらを美しいと感じたり、手許に置きたいと考える人々がいるからこそ、いろいろな処理もされ、市場に出回り、枯渇などの危機を迎える場合もあるわけです。もちろん、宝石の絶対量自体がとても微量な場合もあります。その宝石を集めている私はまさに、単なる『自己満足の極み』と言っても過言ではないと思います。

人は、様々なものに手をかけ、そして生きていきます。手をかけねば生きていくことすらできません。それらは人として背負っていかねばならぬ『原罪』でしょう。しかし、人は生命に関係のないことにおいても手をかけます。もちろん、鉱物や宝石も…。何千年、何万年、もしかしたら、何億年もかけてできた鉱物に人の手をかけてしまう…それは、『原罪』以上に『罪』なことなのかもしれません。それでも、私は宝石を見ると癒され、美しいと思い、更には手許に置いておきたいとも思ってしまうのです。

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